kourimanとその仲間たちの日記です。ジャンルは無し。
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チンツーです。
2010年、冬季五輪の開会式間近となりました。
スノーボードの国母和宏選手が、服装の乱れを理由に入村式自粛となったことは、皆さんもご存じかと思われます。
私は国母選手を批判しようという気は毛頭ございませんので、その事を念頭に置きながら読んでいただければ幸いかと。 なお、若干堅苦しい文章になり、ブログの雰囲気とかけ離れそうですが、一学生の戯言と思いつつ気楽にお付き合いください。
2010年、冬季五輪の開会式間近となりました。
スノーボードの国母和宏選手が、服装の乱れを理由に入村式自粛となったことは、皆さんもご存じかと思われます。
私は国母選手を批判しようという気は毛頭ございませんので、その事を念頭に置きながら読んでいただければ幸いかと。 なお、若干堅苦しい文章になり、ブログの雰囲気とかけ離れそうですが、一学生の戯言と思いつつ気楽にお付き合いください。
国母選手が、スノーボードを始めたそもそものきっかけは、ニュース番組のナレーションに依ると「人と同じ事はやりたくないから」だそうです。彼が高校生のころ取材に答えた映像も流れていましたが、皆が聴いていたり、流行っているような曲は聴きたくないといった趣旨のことを言っていました。
彼のように周囲に影響されず、流されないという生き方は重要だと思います。誤った情報やうまい話に騙されづらくなるからです。人を信じすぎたり、周囲に合わせてばかりでは、残念ながら安全に生きていける世の中ではないのです。要するに、自分であらゆることを判断する力が必要であるというわけです。
しかし、単に「流されない主義」だからといっても、自分で正確に情報を判断しているとは言えないと考えます。
何でもかんでも流行っているものに飛びつく主義の人は、一見、周囲に流されているように感じます。とにかく流行っているものには飛びつかない主義の人は、一見、周囲に流されていないように感じます。しかし、結局の所、前者、後者どちらとも「流行っているもの」に対する対応の仕方が違うだけであって、「流行っているもの」に対する対応の仕方を決めてしまっている時点で、やっていることはどちらも同じであり、自分で正確な判断を下せていないと感じます。Aに対して、皆が〇をつけるから自分も〇をつけよう、あるいは、皆が〇をつけるから自分は×をつけようというように決めつけているのであっては、Aの本質を自分で見極めたとは言いづらいのではないでしょうか。
自分自身で物の本質を見極め、判断するためには、両者の考え方を中性的に持ち合わせることが重要だと思います。「流されてるかな?」と自分が肯定的すぎる事を感じたら、一度冷静に見つめ直し、視点を変えてその情報が正しいか、その物を自分が本当にいい物だと思っているのか考えてみればよいのです。逆に「絶対に流されん!」という何事にも否定的な自分を見つけた時も、同じように考えなおしてみるのです。
人を信用することはとても大切です。でも、自分で判断することも同じくらい大切です。
自分のポリシーを貫くことも素晴らしい事ですが、時にはポリシーを曲げなければならないことも、悔しいことにあると思います。 国母選手が、人に流されない、人に合わせないという主義をとことん貫く人なのか、そうでないのかは本人に聞いてみないと分かりません。ですが「皆が服をしっかり着ているから、自分は崩して着る」という風に、自らの主義を貫いてよい条件、状況であったのか、を正確に判断することが必要だったのではないかと思います。
繰り返しになりますが、国母選手を批判しているのではありません。ただ、その時その時に応じて、主義やポリシーを主張するのか、曲げるのかを臨機応変に変えていくことの必要性と、ある物や事柄、現象に対する自らの反応を公式として確立してしまうのではなく、逐一見極めていくことの大切さを主張したかっただけです。
私が、こういう事を考えるきっかけが国母選手だったというだけです。
偉そうに長々と申し訳ありませんでした。こういう事を、たらたらと誰かに語るよりは、ブログにひっそり書き込んむ方が適切かなと判断した次第です。
なんにせよ、五輪選手の皆さん、ガンバレ!!
彼のように周囲に影響されず、流されないという生き方は重要だと思います。誤った情報やうまい話に騙されづらくなるからです。人を信じすぎたり、周囲に合わせてばかりでは、残念ながら安全に生きていける世の中ではないのです。要するに、自分であらゆることを判断する力が必要であるというわけです。
しかし、単に「流されない主義」だからといっても、自分で正確に情報を判断しているとは言えないと考えます。
何でもかんでも流行っているものに飛びつく主義の人は、一見、周囲に流されているように感じます。とにかく流行っているものには飛びつかない主義の人は、一見、周囲に流されていないように感じます。しかし、結局の所、前者、後者どちらとも「流行っているもの」に対する対応の仕方が違うだけであって、「流行っているもの」に対する対応の仕方を決めてしまっている時点で、やっていることはどちらも同じであり、自分で正確な判断を下せていないと感じます。Aに対して、皆が〇をつけるから自分も〇をつけよう、あるいは、皆が〇をつけるから自分は×をつけようというように決めつけているのであっては、Aの本質を自分で見極めたとは言いづらいのではないでしょうか。
自分自身で物の本質を見極め、判断するためには、両者の考え方を中性的に持ち合わせることが重要だと思います。「流されてるかな?」と自分が肯定的すぎる事を感じたら、一度冷静に見つめ直し、視点を変えてその情報が正しいか、その物を自分が本当にいい物だと思っているのか考えてみればよいのです。逆に「絶対に流されん!」という何事にも否定的な自分を見つけた時も、同じように考えなおしてみるのです。
人を信用することはとても大切です。でも、自分で判断することも同じくらい大切です。
自分のポリシーを貫くことも素晴らしい事ですが、時にはポリシーを曲げなければならないことも、悔しいことにあると思います。 国母選手が、人に流されない、人に合わせないという主義をとことん貫く人なのか、そうでないのかは本人に聞いてみないと分かりません。ですが「皆が服をしっかり着ているから、自分は崩して着る」という風に、自らの主義を貫いてよい条件、状況であったのか、を正確に判断することが必要だったのではないかと思います。
繰り返しになりますが、国母選手を批判しているのではありません。ただ、その時その時に応じて、主義やポリシーを主張するのか、曲げるのかを臨機応変に変えていくことの必要性と、ある物や事柄、現象に対する自らの反応を公式として確立してしまうのではなく、逐一見極めていくことの大切さを主張したかっただけです。
私が、こういう事を考えるきっかけが国母選手だったというだけです。
偉そうに長々と申し訳ありませんでした。こういう事を、たらたらと誰かに語るよりは、ブログにひっそり書き込んむ方が適切かなと判断した次第です。
なんにせよ、五輪選手の皆さん、ガンバレ!!
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プロフィール
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kouriman
年齢:
34
HP:
性別:
男性
誕生日:
1991/03/06
職業:
学生
趣味:
ゲームとか
自己紹介:
エロいものに人生を注ぐ漢。
ほかにもいろいろなものに手を出しては飽きる。
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